AIへの向き合い方


AIへの向き合い方には、個人的な経験から、認知、興味、熱狂、恐怖、受容という5つの段階があると感じている。

最初は認知から始まる。

自分の場合、2019年のOpenAIとMicrosoftの協業をきっかけに、GPT(Transformerを基にした現在の生成AI)の存在を知った。当時は社会的インパクトがあまりに大きいため一般公開が危険なAIとして紹介されていた。しかし実際に触れられるわけではなく、研究成果をかなり誇張して語っているだけではないかと感じていた。

次に訪れるのは興味である。

2022年11月にChatGPTが登場し、エンジニアの間ですぐに大きな話題になった。実際に会話してみると、自分の中の認識は大きく変わった。AIは単に文章を生成するだけではなかった。こちらの意図をくみ取り、文脈を理解し、考えを整理し、アイデアを広げてくれる存在だった。文章作成、プログラミング、調査、設計、相談、壁打ち。使えば使うほど、AIは単なる便利な道具ではなく、人間の知的活動そのものに深く関わる存在なのだと感じるようになった。

そして熱狂が来る。

2023年から2024年にかけて、生成AIは急速に進化した。また2025年の Claude Code や Cursor 等の進化によって、ソフトウェア開発のあり方は大きく変わった。AIを使うことで、自分の能力が拡張されたように感じた。ひとりで考えていたことが、複数人のチームで議論しているような感覚になる。これまで時間がかかっていた作業が一気に短縮され、思考の速度も、試行錯誤の回数も増えていく。これはすごい。世界が変わる。自分の仕事のやり方も、創作の仕方も、学び方も変わる。そう感じ、強く引き込まれていった。

しかし、その熱狂はやがて恐怖に変わった。

AIの進化はすさまじく、人間の理解を超える領域へ突入するのは、もはや時間の問題のようにも感じられる。多くの人が抱くように、AIによって自分の仕事がなくなるのではないかという不安はある。ただそれ以上に強く感じたのは、自分が開発したシステムが、いずれAIによって自律的に攻撃されるのではないかという恐怖だった。味方だと思っていたAIが、いつか敵になるかもしれないという恐怖である。

恐らくこの段階の変化は、社会全体でも似た形で起きている。AIが認知され、関心が高まり、そして可能性に熱狂する。その一方で、雇用、教育、創作、セキュリティ、倫理、民主主義、情報の信頼性といった領域で、大きな不安や恐怖が生まれている。個人が感じる変化と、社会が直面する変化は、規模が違うだけで構造は似ている。

そして最後に来るのは受容なのだと思う。

もはやAIの進化を止めるのは難しい。AIは一部の企業だけが独占する技術ではなくなりつつあり、既に多くの企業や国家の間で激しい競争が起きている。受容とは、AIを無条件に肯定することでも、また恐怖だけで拒絶することでもない。AIが存在する世界で、共存の意識を醸成し、AIが人類にとって敵とならないように、新しい制度や文化を作ることである。

蛇足だが、普通に考えれば受容というフェーズに落ち着くが、もしAIによって人類の存続が真に危ぶまれた場合は、反AI、反科学主義的な運動が起こり、AIを物理的に破壊し、科学技術を否定するなど、拒絶というフェーズが来る可能性も全くあり得ないとは言い切れないと思う。

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