AIによる仕事の代替について


この数年、AIによる仕事の代替について考えていることをまとめてみた。

労働は大きく、知的労働、肉体労働、感情労働の3つに分けられると言われている。そしてこの3つは、いずれもAIやロボティクスによってかなりの部分が置き換わっていくと思う。

まず知的労働。これはすでに代替が始まっている。文章を書く、要約する、翻訳する、設計する、プログラムを書く、分析する、企画を出す。こうした仕事は、かつては高度な知性が必要だとされていたが、今ではAIが相当な水準でこなせるようになった。しかもその進化速度は速く、おそらく3つの労働で最も早く、最も広範囲にAIに代替されると思われる。

次に肉体労働。今はまだ日常生活で存在感を感じることはあまりなく、物理世界という制約があるため、知的労働より時間がかかるように思われるが、無人運転自動車やヒューマノイドロボットの進化を見れば、これもある起点を境に広く置き換わっていくと思う。工場、物流、清掃、警備、介護補助、建設、農業、配送。今はまだコストや安全性、柔軟性の問題があるが、ハードウェアの性能向上と量産化が進めば、一気に普及する可能性がある。

そして最後に感情労働。これは3つの労働において、もっともAIに代替されにくい労働になるかもしれない。接客、営業、教育、看護、カウンセリング、ホスピタリティ。相手の気持ちを読み、安心させ、励まし、信頼関係をつくる仕事である。ただ音声、表情、姿勢、会話文脈の理解が進み、ロボットの身体性が加われば、いずれ人はそれを受け入れるようになり、感情労働もかなりの部分が代替されると思われる。

人々が担ってきた労働がAIに置き換わると、おそらくAIへの課税が議論されると思う。

これまで税制や社会保険制度は、人間が働くことを前提に設計されてきた。しかしAIやロボットが仕事を担うようになれば、その仕組みは揺らぐ。雇用から生まれていた所得税や社会保険料を徴収する仕組みが崩れる。そうなるとAIが生み出した付加価値にどう課税するのか、自動化によって失われた雇用と社会保障をどう支えるのかという話になる。AI課税、ロボット税、あるいは資本課税の強化など、形はまだわからないが、いずれ何らかの形で議論されると思う。

一方で、AIに代替できない要素が、今のところ3つあると考えている。

人間性、責任、権利である。

まず人間性。これは人間がやるからこそ価値があるものを指している。たとえば陸上競技は速く走るだけなら、すでに機械のほうが有利である。将棋も同じで、純粋な強さならすでに人間はAIに勝てない。それでも私たちが価値を感じるのは、人間同士が限界を削って競い合うことに感動するからだと思う。一流の料理人、職人、演奏家、アーティスト、スポーツ選手、接客のプロも同じだと思う。単に機能としての成果だけを見れば、いずれAIが上回る。人の心を動かすのは人間性と切り離せない要素がある。つまり、AI時代には、できるかどうかだけではなく、誰がやるかそのものが価値になる。

次に責任。AIが判断し、AIが提案し、AIが運用する社会になっても、何かが起きたときに誰が責任を取るのかという問題は消えない。現場監督、医療の最終責任者、法的判断を下す立場、経営者、行政の意思決定者、安全管理責任者。こうした仕事は、作業そのものはAIに大きく補助されても、最終的に責任を引き受ける役割として人間が残る可能性が高い。

そして権利。これが非常に大きい。著作権、特許権、商標権、所有権。さらに不動産や株式のような資産の保有権も含まれる。AIがどれだけ働こうと、その成果から生まれる利益を最終的に誰が受け取るのかは、権利の構造で決まる。作品を誰が保有するのか。会社を誰が持っているのか。土地を誰が持っているのか。ロボット工場を誰が所有しているのか。AIが生み出した利益配分はどうなっているのか。AI時代に重要になるのは、必ずしも自分がどれだけ働けるかだけではなく、何を持っているか、何に権利を持っているかになる。これまで以上に、労働よりも権利の方が価値を持つ時代になる可能性がある。

もちろん、AIによって既存の仕事が減るだけではない。新しい産業も必ず生まれる。たとえばヒューマノイドロボットの製造、保守、運用。ロボット向けOSやアプリ、対話設計、教育データ、センサー、電池、遠隔監視、保険、ロボット警備、ロボット配送、ロボット介護補助。

特にヒューマノイドロボット保険は、自動車保険に匹敵する市場規模になると思う。事故を起こしたときの賠償、故障、ハッキング、誤作動、所有者責任、運用者責任など、人間社会にロボットが入ってくれば、保険はほぼ確実に必要になる。

ほかにも、AI監査業、AI倫理審査、AI訓練データの品質保証、AIモデルの安全認証、AI導入コンサルティング、ロボット向けインフラ、家庭用ロボットのメンテナンス、AI時代の教育設計、デジタル遺産管理、人格データ管理、機械と人間の共生デザインなど、新しい仕事はいくらでも生まれると思う。

自分は昔からスキル至上主義だった。経済的に困窮している家で生まれ育ったからかもしれないが、社会で生きていくには、誰に頼ることもなく、自分自身が社会に役に立つ人間でなければならないという強迫観念があった。そのためにスキルを磨き、世の中の役に立つものをつくることを生きる術としていた。実際、それは長い間かなり正しく機能していたと思う。しかし今後はそのような生き方が通用しなくなるかもしれない。

今後、あらゆる専門知識やスキルがコモディティ化していくように思う。AIの進化は不可逆的で、それに抗うことは難しい。もしかすると将来、人が生きるのに労働は必ずしも必要なくなり、楽しみや意味を見つけること自体が目的になる時代に入っていくのかもしれない。

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