ハンコについて思うこと


今、行政改革の目玉として、ハンコの廃止が議論されているが、いろいろと考えさせられる。自分も仕事で企業や自治体と契約する際、先方から山のような契約書類が送られてきて、非効率だと思いながらも、ひたすらハンコを押す作業に追われることがある。
合理主義者でデジタルの世界の人間が言うのはおかしいかもしれないが、改めて考えてみると、ハンコは実によくできたセキュリティトークンだと思う。(セキュリティトークンとは、ワンタイムパスワードやデジタル署名として活用可能な物理的な電子トークン発行システムである。)
手彫りによる文字のゆらぎを利用して、一意性(世の中に同じ印章が存在しないということ)と同一性(印章と印影が同じであること)の証明ができ、押印という不可逆的な行為を利用して同意の証明ができる。
また材質にもよると思うが不変性(時間の経過によって印章と印影が変わらないということ)がある。指紋やサインではこの点、若干信頼性に欠ける。
デジタルの世界で、これをきちんとやるのは実は意外と難しい。
基本的に何でもコピー、加工ができる世界であり、それを加工していないということを証明するのはなかなか難しい。
一意性や同一性の証明を行うのには、デジタルの世界では、公開鍵を利用した電子証明書がその役割を果たすとされている。しかしその仕組みも結構複雑で、そもそも誰がその電子証明書の信頼を担保するのかが問題となる。
信頼を担保するのに認証局が重要な役割を果たすが、民間の認証局では信頼性にばらつきや曖昧さが生じる可能性がある。
その点、国が認証を行えば、高い信頼性が得られる。そういった意味ではマイナンバーカードというのが現時点で最も信頼のおける電子証明書と言え、このままいくとマイナンバーカードが公的なハンコの代わりになる可能性が高い。
ただハンコは実印だけではなく、認印などもっとカジュアルなシーンで使えるものや、代表者印、役職印といった法人印もあり、それに相当する電子署名の仕組みも考える必要があると思う。
さらに進んだ社会ではブロックチェーンを基盤としたスマートコントラクトが当たり前の世界になるかもしれない。
(スマートコントラクトとは、契約条件の設定、執行、検証などの一連の契約処理を、中央集権的サーバを介さずに、ブロックチェーンの仕組みを利用して信用を担保しながら実施、記録できるシステムである。)
これによって各種契約や不動産登記、銀行取引記録、投票、納税証明、卒業証明、資格免許などの偽造ができなくなり、よりオープンで信頼性の高い社会が到来するかもしれない。
こういう話を突き詰めると、自分の存在を証明するのは一体何なのかという哲学的な意味を持つような気がしてならない。

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