日本の産業競争力低下と国際標準化戦略


(この文章は大学院の課題のレポートとして提出したものです。)

1980年代までは日本は半導体や家電など多くの擦り合わせ型のクローズ標準分野で、圧倒的な競争力を持っていました。しかし、1990年代に技術革新が進むと、多くの部品が標準化され、次第にモジュラー型の産業へと変異しました。この結果、キャッチアップ型の中国、韓国などにきわめて有利な産業となり、競争力が失われていったと考えられています。

今回は日本の産業がなぜこのような状況に至ったのかについてと、今後日本企業が取るべき戦略について考察してみたいと思います。

■WTO/TBT協定

戦後の世界経済の流れを俯瞰的に見ると、産業構造が変化した大きなきっかけはWTO/TBT協定と見ることができます。

TBT協定の正式名称は「貿易の技術的障害に関する協定 (Agreement on Technical Barriers to Trade)」で、各国の工業規格が貿易の障害とならないように、国際規格の整合性を高めることを目的に1995年に誕生しました。この締結には経済発展が目覚ましい中国の巨大な市場に、欧米諸国が参入を狙っていた背景がありました。

WTO/TBT協定は原則として加盟国にISO、IECなどの国際規格への準拠を強制するものであり、中国市場の製品に国際標準規格を適用させ、市場をグローバル化するという、重要な意味を持っていました。

実際、2001年にWTOに加盟した中国は、2004年に独自で進めていた無線LANの規格導入を撤回させられることになりました。

このWTO/TBT協定によって世界中の企業の国際標準規格の捉え方が大きく変わりました。WTO/TBT協定ができるまでは、企業はまず、国内市場向けに国内規格にあった製品を設計・開発し、海外に輸出する場合には、国内製品をベースに各国の事情や規格に合わせて仕様をその都度変更するなど、国際標準規格をどちらかというと受け身に捉えていました。
しかしWTO/TBT協定後は、国際標準に合致しない製品の輸出が困難になり、製品設計の初期段階からグローバル市場を意識して国際規格に準拠した製品開発が求められるようになりました。
国際標準規格が貿易の障壁を少なくするという意味を持っていると同時に、世界中のメーカーが同じ土俵で競争しなければならず、競争をより有利に進めるためには、国際標準化により戦略的に関わってかなければならないことを意味するようになりました。

tbt

2001年にシンガポールに日本の二層式自動洗濯機が、欧米の一層式回転ドラムを前提とした国際基準に適合していないという理由で、製品の輸入が差し止められる事件が発生しました。これまで日本企業はJIS規格に準拠した製品づくりを心がけていましたが、それが海外で必ずしも通用するわけではないという象徴的な事件となりました。
またJRがSONYの開発したICカード規格であるFelica (Suicaのベースとなっている規格) を導入しようとしたところ、海外企業からWTO政府調達協定に違反しているとして異議申し立てされる事件がありました。この時にはSONYは Felica を、当時既に国際標準規格が存在した非接触型のICカード規格としてではなく、通信規格として国際標準化を行い国際標準規格として採用させ、JRは Felicaを採用できるようになりました。

この2つの事件は日本が国際標準化と真剣に向き合う大きなきっかけとなりました。

■ ヨーロッパの産業競争力強化の策として誕生した国際標準化

そもそも国際標準化の動きは1980年代にヨーロッパを中心に巻き起こりました。当時、世界市場ではアメリカ企業と日本企業が圧倒的な力を持っており、ヨーロッパは対抗策として国際標準化というものを盾に競争力強化を図る戦略を打ち出しました。

現在、標準化団体の決議は1国1票制によって行われています。これは人口の多い国でも少ない国でも同じ一票であることを意味し、一見平等に思えますが、国力の大きい国にとっては極めて不平等なしくみとなっています。ヨーロッパは大小多くの国が存在しており、ヨーロッパ全体の票数が多いのに対して、アメリカ、日本は単独で1票しか保持していません。これはヨーロッパが、アメリカや日本と対立した場合、ヨーロッパに極めて優位に働くことを意味しています。

この状況に対してアメリカは、アメリカ企業が進出している中南米の国々において、その国の代表権を獲得し、アメリカに意向に沿った国を増やすことによって実質的な投票数を増やすなどの対応を行っています。

■標準化とはなにか

そもそも標準化とはなんでしょうか。標準化とは、異なる要素間において、利便性や相互理解を目的に、部品などの品質、仕様の様々な取り決めを行うことによって「標準」を作成し、それに従って互換性を高めていく活動のことを指しています。

標準化の歴史は古く、紀元前2500頃まで遡ります。当時エジプトではピラミットの建設が始まっており、その建設には計量法と作業手順が極めて重要とされていました。標準化はその必要性から生まれたと考えられています。
19世紀にはイギリスで産業革命が起こり、工業化が急速に進行し、様々な工業製品が生まれ、その過程の中でねじ、ボルト、ナットなどが標準化されました。
1875年にはフランスで初の国際標準規格であるメートル法が誕生しました。メートル法は質量や体積、距離の単位を標準化したもので、現在でも幅広く採用されています。
20世紀に入ると標準化団体も生まれました。また同じ頃 GMとFordが誕生し、自動車における標準化が進められました、ただしGMとFordの標準化戦略は大きく異なっており、Ford はT型フォード呼ばれる1機種に生産を絞ることによって生産性を向上させたのに対して、GMは部品の標準を行い、市場のニーズに合わせた多様な車種を市場に送り出しました。

標準化は工業分野のみならず、スポーツ、交通、リサイクルなど様々な分野で行われています。標準化によって生産者にとっても消費者にとっても品質、コスト、生産性など様々な面で恩恵が得られますが、標準を決めていくものが有利になる傾向があり、事業者にとってはいかに標準化の主導権を握るかが、将来の利益を確保する上で非常に重要な点となっています。

特に標準を作成する事業者が直接の競争者となる場合、標準の決定権のない事業者にとって競争は極めて不利に働く可能性があります。これは企業だけではなく、スポーツの国際競技などでも同様のことが言えます。日本人選手はルールが変更されるたびに、ルールに適用しようと努力しますが、標準化の本質から言えば、ルールに従うことのみを考えるのではなく、ルールを変更できる側になる努力も非常に重要となります。

■技術革新によるモジュール化

産業構造の変化のもう一つの要因として技術革新があります。1990年代に情報技術を中心に、様々な技術革新が起こりました。例えばアナログ時代のVTRは日本企業が得意とする極めて高度なすり合わせ型の技術が求められていました。しかし技術革新によりデジタル化が進むと、LSIなどの主要なチップを購入するだけで過去の技術の蓄積の少ない工場でも簡単に製品を組み立てられるようになりました。
また日本企業は極端な円安が進む中、多くの製造工程をマニュアル化し、アジアへと積極的に工場を移転し、これがモジュール型の産業への転換に拍車をかけ、その後、日本企業は低価格なアジアの製品に苦しめられることとなりました。
日本が圧倒的な競争力を誇っていた多くの産業が、擦り合わせ型のアーキテクチャからモジュール型のアーキテクチャと変化し、日本企業の標準化戦略は大きく変更を迫られることになりました。

■今後の日本の戦略

日本企業は今、モジュラー型に変化し、競争力を失った産業を再度、摺り合わせ型に引き戻す戦略を考えています。これは従来の様に単に技術をクローズにするのではなく、擦り合わせ型の技術をコアに、常に技術革新を行いながら国際標準化もリードし、他社が開発できない新製品を次々と市場に投入し、オープンスタンダードを構築するという戦略です。モジュラー型へ産業構造が変化する前にさらに技術革新を行うことが必要となります。

例えば Apple は自らも国際標準化をリードしながらも、コアとなる技術はクローズにし、様々な最先端の技術を擦り合わせることによって、ブランド力の高い製品を次々と市場に投入し、極めて高い競争力を維持しています。日本企業も競争力を維持するためには、自社の技術の何をオープン化し、何をクローズにするかを戦略的に見極め、ビジネスモデルを構築することが求められています。

また多くの製品は多層構造となっています。たとえ家電製品や情報機器がモジュラー型に変化したとしても、部品までがモジュラー型に変化したとは限りません。摺り合わせ型の技術でなければ開発できない部品も多く存在します。日本はこの分野で大きな競争力を維持しています。多くのスマートフォンに採用されているソニーのイメージセンサーなどが代表例です。このような分野を維持し、市場をさらに開拓することが重要なテーマとなります。

またスポーツと同じで、いかにトレーニングを積み重ね、技術で先行しても、その度に都合のいいようにルールを変更されては勝てるものも勝てなくなります。国際市場で勝つために、国際標準化に日本が積極的に関わり、リードしていくことが非常に重要となります。

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